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読書しようぜ 

2009年09月23日 ()
"宇宙においてもっとも理解しがたいのは、宇宙が理解可能だということだ"
                       アルベルト・アインシュタイン

お久しぶりの日記更新。
現在、色々と佳境。
取り合えず論文2本でけた。
もう少しだ。

今回は書くこともあんま思いつかないので本の紹介。科学読み物全般について。
いっぱい思いつくんだけど、どうしようか。

フェルマーの最終定理」サイモン・シン

やはり科学的読み物という意味では、サイモン・シンを取り上げずにいられない。
とにかく上手い。読ませる。熱くて切ない人々のドラマがある。
それでいて、数学や科学と言った世界での大まかな歴史を一本の線に乗って概観する。
科学読み物としては理想的だと言える作家。
翻訳も素晴らしいのだけど、近く原著を買おうかと考え中。

1冊目はこの「フェルマーの最終定理」。
フェルマーという17世紀の天才アマチュア数学家が、自分のノートの切れ端に
「nが3以上のとき、n乗数を2つのn乗数の和に分けることはできない。この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」
と書いたがゆえに始まった300年に渡る数学者達の物語。
数式で書くと
x^n + y^n = z^n (n=3,4,5,6,…)となるnは存在しない、というもの。
(注:x^nはxのn乗を示します。)
このnが2の場合が皆さんご存知のピタゴラスの定理、もしくは三平方の定理となります。
nが2では成り立つのだけど、3以上にすると成り立たない、というのがこの定理。
そしてその証明をフェルマーは見つけたと言っているけど、その肝心の証明は見つからないまま。
そこから物語は始まります。
このフェルマーの最終定理の面白い点は、問題を理解するのは随分簡単なんだけど、その証明となると歴史的な天才数学者を何人も退けた超難問へと化すというところ。
それゆえ、プロの数学者からアマチュアのパズルマニアまで多くの人を巻き込むことになり、数多くのドラマを産むことになります。
たくさんの絶望があったのだけれど、300年の時を経て1人の男性により証明がなされた時の感動はもう泣けるの何のって。

余談だけど、この定理は脚本家の三谷幸喜氏が古畑任三郎シリーズで二度ほど「ファルコンの定理」として登場させてますね。
たしかクイズ王のやつと、特番の陣内孝則が犯人のやつ。

この問題にまつまる数学者達の生き様が生き生きと書かれているだけでなく、数論という立場で見た数学史としても見事に整理されてるのが良い。
数学とは何か、証明とは何か、をあらゆる人に問いかけ、学者達の生き様を通して読者自らにその回答を探らせる。
中学や高校の各教室にこの本置いておくだけで、理科離れが劇的に解消されるんじゃないかと思うくらい。いや、ホント。

また、この定理の証明に大きな役割を果たした日本人数学者のストーリーが十分にページを取って紹介されているのが、同じ日本人として大変嬉しいです。

そして2冊目が「暗号解読」サイモン・シン

文明発祥の時代から続く暗号解読者と暗号作成者の長きに渡る戦いの物語。
当然その戦いは現在でもまだ終わりを告げていません。

この本は暗号というものが如何に歴史に影響を与えて来たのか、という点が実に面白い。
戦争の勝敗から、王族の処刑から、果ては埋蔵金のゆくえまで。
暗号解読のために現代のコンピューターの基礎が作られたというんだから、その影響は計り知れない。
かつては言語学者のものだった暗号の領域が、やがて数学者のものとなり発展を続ける。
その一連の歴史の流れをその実際のテクニックと共に紹介し、それにより変わり得たかも知れない歴史というものを読者に楽しく想像させます。
ネット全盛の時代にあって、かつてなく暗号システムの重要さが高まる中において、自分の生活が何によって守られているかを知るのも楽しいと思います。
これも本当にお薦めの一冊。

3冊目が「宇宙創成」サイモン・シン

個人的にはこれが一番好きなんだけど、それはやっぱり僕が宇宙の人間だからだろか(?)。

ビッグバン理論にまつまる科学と天文学のドキュメント。
ビッグバン理論っていうと、宇宙の始まりが大爆発だという例のアレですが、冷静に考えてみると、よくそんなもんを学者は真面目に唱えてるなという気がしたりしません?
おかしいでしょ。大爆発て。そんな荒唐無稽な話、普通に生きてるだけなら誰だって想像しないでしょ。
でも、それは長きに渡り、何度も何度も観測し、理論的に肉付けし、観測により検証し、エラーを見つけては修正する、という一連の手続きを、その時代時代の学者達が、持てる全てを出し切ってやり切ってきた結果なのです。
事実は小説よりも奇なりという諺の例としてこれ以上相応しいものもないでしょう。

訳者の青木さんも指摘していますが、この本はビッグバン理論の物語だけでなく、科学者が如何に科学というものを実行するか、というその集大成が書かれています。
科学者は何を考え、何を間違え、何を修正し、何と戦って、何を作り上げるのか。
この本を読むと、今は間違いとされる過去の理論とそれを唱えた学者達に対する尊敬すら生まれて来ます。彼らが間違えたから今があるのだと。
特にフレッド・ホイル。すげーよ、あんた。
もちろんビッグバン理論もいつか破られて、新たな理論に取って変わられる日が来るかも知れません。もしかして宇宙にはじまりなんか無かったと言う日が来るかも知れません。
でもこれだけは断言出来るでしょう。だから科学は面白いのだ!と。
万人に分け隔てなくお薦めした本。

なお、相変わらずですが、簡単な天文学史のまとめとしても非常に整理されています。
もちろん20世紀以降に「天体物理学」として発展した全ての内容を網羅することは出来ませんが、おおよそのエッセンスは含まれていると思って良いでしょう。
いやー、それにしても、ハッブルは格好いいな! 観測屋の鏡だな!!

最後にもう一冊。サイモン・シンばかりだとあれなので別の作家から。

かくて世界に不確定性がもたらされた」デイヴィッド・リンドリー

アインシュタイン、ボーア、ハイゼンベルクの3人を軸とした、量子力学の誕生にまつまるドキュメンタリー。
これがまた面白い。
今日、紹介した本どれにでも言えることだけど、とにかく人物の描写が楽しい。
シュレディンガーに愛人がいたとか、パウリは夜型でゾンマーフェルトの講義をサボってたとか、ハイゼンベルクが何日の何時にどの列車に乗ったとか、そんなもんよく調べたな!というものばかり。
うん、でもこういう裏話でテンション上がるのは、最初からそれらを知っている人だけという可能性は否めない(笑)。
サイモン・シンほどに初心者向けには書かれていないかも知れないけど、でもこの「不確定性原理」という概念が如何に今日において重要であるか、ということは良く学べるはず。
そしてその概念は何もハイゼンベルクらと共に華々しく登場したわけではなく、ボルツマンやキュリーらの時代からジワジワと広がっていたのだということが分かります。
古い科学の概念が捨てられ、新しい概念が迎えられる。その時何が起こるのだろうか?ということが実に巧妙に書かれています。
表紙の写真は有名物理学者目白押しのソルヴェー会議の写真ですが、これにテンション上がる人が読んで外れることはまず無いでしょう(笑)

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[2009.09.23(Wed) 16:50] 絵日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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科学的? 

2009年08月12日 ()
「先生、現実とは何でしょう?」
「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ。
 普段はそんなものは存在しない」
                   「すべてがFになる」(森博嗣)

全然絵が描けないぞ。描こうとしてるんだけど全然上手くいかない。
という訳で今日も謎な話。

たまに世間やメディアや漫画・小説などで「非科学的」と言う言葉を見たりします。
マイナスイオンを指して「非科学的だ」と批判したりとか、漫画でオバケ的なものに出くわした時に「非科学的だ!」と叫ぶインテリ系キャラがいたりとか。
この2つの例における「非科学的」という単語の用法について、僕個人の感覚で言わせてもらうと、前者は「正解」ですが、後者は「不正解」です。
(その不正解の後者的発言を、その漫画の中での優秀な「科学者」が言ったりするんだから、僕としては唸ったりしてしまうわけですが…)

さて、じゃあ「科学」とは何だろうか、とちょっと考えてみます。
具体的な定義はともかく、「科学」というのは「真理」に到達するためのアプローチの方法のひとつ、と言って良いでしょう。
真理という言葉も胡散臭かったりしますが、まぁつまりは、物事の奥に潜む何かこの世界を成立させている「何か」。
では、科学はどうやってこの「何か」にアプローチするかと言うと、基本的には実証しなくちゃなりません。
ここで言う実証とは、一定の条件を満たせば常に同様の現象が起こることを「観測」「測定」により明らかにすることを指します。
さらにそこで明らかにした関係を数学を用いて記述した上で、他の現象まで予言した上で、それを観測により証明できちゃうと、大変「科学的」です。
つまり、科学という方法でもってアプローチを試みることが出来る最低の条件は「観測・測定が出来る」ということです。

ではここで、冒頭の話に戻ると、マイナスイオンを指して「非科学的」だと指摘する人は、つまり「マイナスイオンが人体に良いという主張が科学的な手法(観測・測定・統計処理)を用いて十分に検証されていない」と言っているわけです。
で、後者はどうかと言うと、「オバケなんてものが存在するなんて僕は信じないぞわああああん!!」を「非科学的」と言い換えてるわけですな。
…いや、いま君が「観測」してるじゃないですか。
という突っ込みが当たり前のように入るわけです。
僕の知る科学者ならば、オバケが実際に「観測」されたと聞いたら、その観測手法と評価手法が適切であるか大いに疑問を抱いた上で、そりゃもう目を輝かせるに決まってます。
観測出来るのだったら「魔法」だってきっちり科学してみせるでしょう。
余談ですが、そういう世界観の物語、僕は結構好きですよ。

もちろん創作物なんですから、どう描写されてようと面白ければそれで良いのです。
ですが、日常で「科学」という単語を使うシーンや、創作活動をしていらっしゃる方で、特に貶す意味もなく「科学者」を登場させたい方は、一度のんびりとでいいので「科学」とは何かを考えてみるとなかなか深みが出て面白いんじゃないかなーと、愚考したりするわけです。

では今回はこれにて了。
とにかく短く書こうと思ったけど、あまり上手くいかなかった。反省。

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[2009.08.12(Wed) 16:59] 絵日記Trackback(0) | Comments(1) 見る▼
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ゼロの発見 

2009年07月21日 ()
"物理学は物理学者にはむずかしすぎる" 
        ダフィット・ヒルベルト(数学者)

宣伝の乗っ取り回避のため、絵無しで文章だけ更新。
今日も科学っぽいお話。

数字や数学としての「ゼロ、0、零」というものはインド人によって発見されたらしい。
なんてことを高校の世界史の授業で習ったのだけど、当時は「ゼロがあるなんて当たり前じゃないか」とか「それの何が凄いの」なんてことを思ったもので。
今でもゼロという概念そのものの深淵さはまだピンと来ない点も多いけど、今回はちょっと視点を変えてその発見の意味を考えてみよう、の回。

日ごろ、僕たちは数字でものの量を表す時に、「12345」と書いたりする。12345円とか12345リットルとか。これを日本語で読むと「一万二千三百四十五(いちまんにせんさんびゃくよんじゅうご)」となる。これはOK。
これを改めて考えると、(1×万)+(2×千)+(3×百)+(4×十)+(5×一)と言う風に1〜9までの数字かける位(一十百千万…)、という形で表現できる。
これでも分かりにくいかも知れないので、(3×百)だけを取り出して、さらに崩して書くと、(百+百+百)となる。
こうなると+が余計なので、取り払ってしまうと(百百百)となった。最初の前提に戻ると、これが300を表すことになる。
このルールに従って、「12345」を書き直してみると…

万千千百百百十十十十一一一一一

となる。う〜ん、分かりにくい。分かりにくいのだが、実はこれが古代の人々が使っていた数の表現方法なのである。
この方法の特徴的なことは、この記号を書く順番によって示したい量が変わることが無い、という点なのだ。
例えば

千百十十万百一一十百十一一一千

と書いても、これらの足し算で考えるので、合計の量が「12345」であることには変わりない。
もちろん古代の人が使っていたのは(一十百千万…)みたいな漢字じゃなくて、もっと象形文字っぽかったりとか、まぁ色々あるんだろう。
ちなみにここで、■という記号を5だと考えると、15は■■■と書けて、さらに△を2、◎を1とすると、18は■■■△◎となる。数式で書くと(5×3+2×1+1×1)だ。
合計の数さえ合えば何でもいいので、これは別に■■■◎◎◎でも、■■△△△◎◎と書いても構わない。(計算合ってるよね…)
こうやってひとつの記号にいくつの量を割り当てるか、と言った問題は、それぞれの文明や社会が必要としている数の大きさによって異なる。
大都市国家があって、市民からの税を取り立てるようなところは、人口に見合うだけの記号が必要だし(10万とか100万とか)、狩猟や採集だけで生きているような少数部族では2とか5の小さい数で十分間に合うことになる。
ちなみに言うと、この辺が2進法や10進法、16進法が生まれたきっかけなんだろう。

さて、お気づきかもしれないが、この記法ではゼロが出て来ないのである。0を一切用いずに必要とする全ての数を表現出来てしまう。
例えば、今の僕たちだと「204」と書くところを、昔の彼らは「百百一一一一」で済んでしまう。0とかゼロとか零なんてものはどこにもない!
ここで視点をひっくり返すと、今僕らが書いているような0〜9までの数字を並べて書く方法の開発こそが、「ゼロの発見」そのものと言っても過言ではないのだ。
今僕らが使うこの書き方を「位取り数記法」と言って、記号そのものではなく、数字を書く場所によって桁を表現する量の表し方(数記法)である。
一番右端に書かれる数字を1の位として、左に進むにしたがい、10、100、1000と10倍ごとに増えていく。
この方法で書くと、書く場所によって桁を表現するので、その桁の量が存在しない時でも便宜的に何かそこを埋めてしまわなければならなくなる。
そこで生まれたのが「0」なのだ。

これを初めて知った時は、なかなか新鮮だったのだけれど、皆さんはどうだろうか。

ちなみに、この書き方の便利な点は、例えば筆算が出来る、なんてのも重要なのだけれど、なにより「新しい記号を作らずにどこまでも位を伸ばしていける」、という点が画期的なのだ。
1234567890987654321みたいに書けば書いただけ桁を増やしていくことが出来る。なんて便利。
後には小数点という発想が編み出され、0.00000000000000001と数が小さい方向にもどこまでも伸ばしていくことが出来るようになった。
そして、こんなにも簡単に人類は「無限」を作ることに成功してしまったのだ。
これが後にどれだけの影響を与えたのか推して知るべしである。

…とまぁ、こんなところが「ゼロの発見」の概要です。
もっと詳しく知りたい人は「零の発見ー数学の生い立ち(吉田洋一)」をお薦めします。数字と人類との関わりを非常に分かり易く書いてあります。
ただ、終盤はやはり「無限」と「連続」に踏み込むことになってページ数の不足を感じてしまうので、さらに数式を使ってでも勉強したいと言う方には「「無限と連続」の数学―微分積分学の基礎理論(瀬山士郎)」をどうぞ。
大学で理系に進んだものの、あの忌々しいεーδ論法に出鼻をくじかれた方に取っても非常に良い参考書になるのではないかと思います。つまり僕です。


>昨日pixivでメッセージくれた方へ(本人にだけ伝わればいいので匿名で)
どうもご丁寧にありがとうございました。
絵だけじゃなく文章も見ていてくれて感激しました。
両方ともサボりがちですが、なんとか続けて行こうと思ってます。
科学っぽい話は僕自身の考えの整理にも役立つので、これからもちょくちょくやっていくつもりです。
また時間があったら覗いてみて下さい。

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[2009.07.21(Tue) 18:29] 絵日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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連日更新 

2009年06月21日 ()
東方プロジェクト * ゲーム
"十万桁まで計算されたπに人間性がないというのですか? 人間以外に誰がします?"
                        「笑わない数学者」(森博嗣)

20090621.jpg

描けるうちに描いておく。というか色塗りがさっぱり思い出せないぞ。色ってどうやって塗るんだっけ。Saiの便利さを遥かに超えて進行する自分の健忘症。
しかし見下される構図が好きだね、僕は。

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[2009.06.21(Sun) 17:27] 絵日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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物理な日々 

2009年06月20日 ()
"Der Alte würfelt nicht.":アルバート・アインシュタイ
(神はサイコロを振らない)
"Einstein, schreiben Sie Gott nicht vor, was er zu tun hat.":ニルス・ボーア
(アインシュタインよ、神が何をなさるかなど、注文をつけるべきではない)
"神様に手を合わせてみたとこで 鉛筆を転がして決めているよ":
                ルーレット☆ルーレット(桃月学園1年C組)

お久しぶりです。
さんざ続いてるゴタゴタは実はまだ続いてます。順調に伸びに伸びて6月まで来てしまいました。世の中厳しい。終わらないなぁ。
でもやっと先が見えて来たので、あと2ヶ月程度で何とかしたいなと。

忙しいと言っても、それなりに時間はあるわけで(24時間全てを捧げていたらとうに死んでる)、その時間で絵を描くという発想もあったのですが、どうも気が進まず半年近く放置してしまいました。今回も描いてみたけど気が乗ってるんだか乗ってないんだか。でもちょっと思い出してきた。楽しさも。

絵を描かずに何をしていたかと言うと、1:物理、2:アニメ、3:漫画、4:ゲーム、とまぁいつも通りと言うか。1は研究や論文とは違って、参考書を借りて来て読んだり、科学史を勉強しようと本を買って来て読んだりとか、まぁそんな感じです。
最近分かって来たんだけど(遅い)、歴史を知るということは非常に重要ね。何より現在の科学を作った人達が当時何を考えていたのかを知ることが、すごく重要。他人の又聞きみたいな教科書を読んで知った気になっていてはいけないと反省しました。
ま、と言ってもその科学史をつづった本にしても、その著者なりの解釈とまとめの上に成り立っているので、それで理解したと考えるのは間違いなわけで、そうすると最終的には科学を作り上げて来た本人達の論文や著作に手を出さなければならなくなりそう。数年以内にさらに勉強を続けたいところだー。

ついでなので初学者向けのお薦めの本を紹介しておきます。紹介するまでもなく有名なものですが。

物理学はいかに創られたか:アインシュタイン、インフェルト著」
あのアインシュタインによる物理入門向け図書。古い本にしては翻訳も良く出来ていると思う(古い本、という表現は余計だろか)。数式を使わずに物理学の主要なテーマを網羅している。「場」という概念の理解がしやすいと思う。

物理学とは何だろうか:朝永 振一郎 著」
ノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎先生の著書。未完なのが悔やまれる。上のアインシュタイン、インフェルトの本と基本的には対象とする層は一緒だけど、内容が大分違う。ガリレオやケプラーと言ったあたりの物理黎明期の話の切り口も違うので、高校生くらいでこの2つ(計4冊)を読んでおくと言うこと無しな気がする。特に熱力学と統計力学の解説が見事。大学で習う物理で一番つまづくところだしなー。

熱力学と言えば、最近は清水先生田崎先生の本を読んでる。目から鱗がこぼれすぎて大変だ。革命的とも言える。つーか、今までどれだけ分かってなかったんだ、って話だ。こういう世界でも他にない本を日本人が書いて、それを日本語で読めることこそが、日本が何より恵まれていることの証拠だと思う。

他にもいっぱいあるけど、またその気になったら書き連ねて行こう。誰が見るかは知らんが、ブログだもの。チラシの裏だ。

てるもこらしきもの
勢いで描いた輝夜&妹紅。輝夜の口の形が最後まで気に入らなかった。どう修正しても気に入らないんだから本来なら捨てるべき絵だな。
ところで、この2人が顔付き合わせてる構図が好き。色んな感情渦巻いてそうで。

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[2009.06.20(Sat) 17:38] 絵日記Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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